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「 勝手につづる世界史 」のスラヴ編を作っている最中ですが。今回は政治制度、特に。

民主主義の中で独裁が発生するメカニズム」についてつづります。

どうもこの事を取り上げない事には、「歴史」や現代の「政治制度」を説明する上で。

「説得力」を得られないと考えました。

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当ページでは、「フランスの歴史」やその他、「はじめにお読みください」から「セイレーン」まで。
とくに「軍事に反対する」時に、政治制度についても触れていますが。

「永遠平和のために」のイマニュエル・カント等の言うとおり、一般市民「一人一人」は大多数が「戦争反対」であり。
「ではなぜ、戦争は起こるのか?」について。

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「戦争への道」の中で必ず登場する、「独裁」に焦点を当ててみたいと思います。
大多数が「反戦」なのですから、なのに戦争が起こるというのは少数。つまり「どこか」で独裁が行われなければ「絶対」に開戦しないはず。
という着眼点からで。

それがいったい「どこ」なのか、どこで、どのように独裁が発生するのか?
を説明して行きたいと思います。

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(どのようなメカニズムで独裁が発生するのか研究が進んでいて、一定の結論が導かれているのです。)

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目次。

T. プロローグ。

U. 定数不均衡・・・。よく聞きますね。

V. 累積多数決?。聞いたこと無いですね。

W. 最後の問題が「真打」です。

X. 最後の問題が「真打」です。2

Y. 結論

Z. 編集後記。民意が戦争なら立派な民主主義?。

[. 編集後記2。まだまだたくさんある、民主主義の中の独裁。

\. エピローグ。

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プロローグ。

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「独裁」等というと大げさで、すぐにヒトラーやポルポト、ミロシェビッチやカエターノ等を思い浮かべてしまいますし。
もっと言えば、作者のような漫画世代では。漫画に登場する絶対悪、デスラー総統等でしょうか?

ですがもちろん、ここで論じているのはそんな極端な人たちではありません。
むしろ「公務員」として、日本のために働く人たちでもあります。

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民主共和政体を憲法に掲げる国で、なぜ独裁が起こるのか?
この切り口では、セイレーンPARTWで「団体政治」について取り上げました。

しかし例えば軍事関連団体が、政府にいくら働きかけても。
肝心な「軍事行動」に、有権者の支持が得られなければ絶対に「戦争勃発」には至りません

そこで、軍事団体から働きかけを受けた政府は、メディアを合法的に使って仮想敵国の「脅威」をクローズアップするわけですが。

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しかしてそもそも「軍事」というのは、皆さんご存知のとおり「恐ろしく金を食う」ものです。

例えば「F15戦闘機」だって一機百数十億円。維持するには通常、償却するまでに同額以上の費用を必要とします。

対して、例えば税金の無駄使いの象徴的事件。元社会保険庁の作り続けた「グリーピア」なる。
建物としては大変にお金をかけた施設でも、せいぜい百億(売却するときはタダ同然でしたが)ですから、軍事の値段の高さがうかがえます。

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つまり。

大変にお金を使う、軍隊を行軍させるには。
ほぼ、必ず「増税」を伴うのです。

アメリカのような、同盟国から「安全保障費を受け取る側」であれば・・・・・・。
まれに。開戦によって「儲かる」場合もありますが (不謹慎ですが(笑))。

もちろん日本ではこれも望めませんの、でよけいですよね。

ゆえに、増税を伴う行軍・開戦に。市民の支持が得られないのは当然なのです。

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支持を得ていないのに。つまり「多数決原理」に反する。
つまりつまり、多数意見ではない、少数意見が政策を支配する。これを一般的に「独裁」と呼びます。
(「独り」じゃなくても独裁は独裁です)

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実はこのページの事象は、歴史解説などと違い、「内容そのもの」は簡単です。
逆に「問題提起部分」、つまり「何が問題か?」を解説する部分の方が長い(重要な)くらいです。

自分も含めて、「根本的原理・メカニズム」が分からないと。ついつい、「現代社会で独裁なんかナンセンスだ」という。

「楽観論」に走ってしまうからなのですが。

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ただ簡単と言っても、定数不均衡や政党名簿比例計算等を本当に計算するには、相応の「数学」が必要ですが。
当サイト作者は数字が苦手なので、詳しい数式などはネットで調べてみてください。

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定数不均衡・・・。よく聞きますね。

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まず「定数不均衡」です。

よくこの問題はニュース等でやっていて、耳にすることも多いと思いますが。日本の法制度ではなかなか是正が難しく。
問題提起がなされ始めた、アメリカ「ウェルズベリー対サンダース(60年代)」訴訟以来。

遅々として、解消しないのが現状です。

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日本は米英のような「司法の優位(法治主義)」ではなく。
議院内閣制による、立法・行政を融合させた(法の支配)。いわば「行政の優位」であり。

また法制度も、米英系の「判例法」と異なり。
新たな事項に対する対処が、後手に回る事を宿命としている「成文法」だという事も手伝って。

(新たな事項に違憲判決を下すと、当該事象の公判時点では、当該法が施行されていないので。自動的に遡及効になってしまう。あたりまえですが。)

「違憲立法審査権」が「伝家の宝刀」、つまりほとんど機能しておらず。

高い定数不均衡状態に、司法の「事情判決」が繰りかえされる。

残念ながら「定数不均衡大国」なのが現状です。

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定数不均衡の問題点として。
各国で、大体、定数穂均衡が生じた場合。地方の票価値が上がる傾向があり、日本もこれを踏襲していて。

日本でも「地方」、つまり第一次産業を支持基盤とする政党が歴任してきた歴史を持つのですが。
(与党は「包括政党」ではありますが、都市部より地方に強い支持基盤を持つのは事実です。)

第一次産業とは、そもそもが。日本の「領域そのもの」から生産される産業のため。

「既存権益の保持」。つまり存在そのものが、そもそも「保守派」の性格を宿命付けられている訳で。

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この意見を、より多く取り入れるという事は。必然的に国政が「保守的」になる訳です。

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定数不均衡の具体的問題点・判例などはウィキしてみてください。
制度が異なる部分もありますが、アメリカ(下院)=厳密に平等。イギリス=1.2倍。など、日本の事情がわかります。

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累積多数決?。聞いたこと無いですね。

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それから、もう一つ多数決原理の「手続き的」問題として、「累積多数決問題」があります。

こちらは起源的にそもそも、「代議制民主主義では仕方の無いもの」とされていて。
代議制民主主義を掲げた、日本国憲法発足当初から現在に至るまで。まぁ一度も憲法改定していないので当然ですが・・・。

つまり「違憲」とされたことは無いので、ゆえにニュースで取り上げられる事の無い事象です。
(そもそ「問題視」されない)

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こちらも原理そのものは簡単です。累積多数決とはつまり。

争点を、公職選挙で「一回」多数決して、さらに代議員によって議会でもう一度多数決すると。
最大で、「半分」の「半分」で。「約1/4意見」が可決してしまう。

という問題です。

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比例代表制を導入すれば、簡単に解決できる問題なのですが。
これは戦前から続く、日本のいわゆる「地方利益誘導公約」問題。

つまりよくある「オラが村に高速道路通してけろ」「オラが町に橋作ってけろ」ってやつですが・・・・。

つまりつまり、これらと連動しており。小選挙区を撤廃するのが難しく。
それどころか、日本においては選挙制度改革さえ、遅々として進まないのが現状ですが・・・。

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日本では衆議院が優位であり、その衆議院で比例代表制が導入されていないため。
この問題の影響が、もともと大きく。

定数不均衡で生じる問題を、より一層深刻にしている状態で。
つまり地方の保守主義政策との相乗効果により。

国際社会においても、非常に強固な保守的政策決定を下しているのはご存知のとおりです。

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最後の問題が「真打」です。

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以上、多数決原理の「手続き的問題点」には。上記とおり、一定の対処方法が存在しますし。

冒頭で述べた、「団体政治の問題点」も。現状では難しい問題でも、対処方法は存在していて。
「直接民主主義」や「オンブズマン」など、色々な国で、様々な制度が実施されています。
(いろいろありますので、興味のある方はぜひウィキしてください。)

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ところが最後の問題はなんと、「多数決原理そのものが持っている」問題で。

解決方法は、「多数決をやめる」ことしか無い。と言われるほどに。
極めて「深刻」な問題です。

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ヒトラーのような表立った独裁者が存在しないのに。どういう訳だか。
多数意見が破棄され、「結果的独裁」が起こってしまった。」。

という場合の。要因ではなく、直接的原因は、ほぼ間違いなく。これが原因です。

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更に深刻なことにこの問題は、大問題でありながら。
多数決原理に、完全に則っており。「完全に合法(合憲)」的原理なのです。

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多数決民主主義原理に則った決議で、なぜ結果的独裁が発生してしまうのか?

ケネス・アローの「不可能性定理」です。

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まず大前提として、「二者択一」の論争において多数決原理は、極めて簡潔で。
他の方法論の余地が無いほど、明快な決議をもたらします。

つまり二者択一にとって多数決原理は、絶大な効力を発揮するのです。

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ところが論争の論点というのは、二者択一ばかりではありませんね。
むしろ、色々な選択肢があるのが普通です。

このように、三者以上の選択肢がある場合。
集合意思を決定する上で、完全に非独裁性を実現するのは不可能であると説いたのです。

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例えば仮に、国民総人口が「七人」の国があったとします。

そして隣国が軍備を一方的にすすめ、両国間に位置する離島の領有問題をめぐって関係が悪化し。

ついには小規模な銃撃戦が起こり。

当該国との開戦を国民投票にかけたと仮定します。

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前記通り、「開戦」か「要求受諾」か、二者択一だったら簡単です。

しかしこれも前記通り、論争というのは色々な選択肢があるのが普通ですので。

ここでは仮に、三者択一。仮に、議論の枠組みを。

戦争やむなし、つまり「開戦」。

いや、余地はまだある。すなわち「継続対話」。

相手の要求を呑んだ方が得策だ、そんな「島」などくれてやれば良い。という「要求受諾」としてみましょう。

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第一希望 第二希望 第三希望
A氏
開戦 対話 受諾
対話 受諾 開戦
対話 受諾 開戦
対話 受諾 開戦
受諾 開戦 対話
受諾 開戦 対話
受諾
開戦
対話
B氏
C氏
D氏
E氏
F氏
G氏

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そして、このような結果が出たとします。

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最後の問題が「真打」です。2

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詳しい計算方法は、ネットなどで調べてください。結論だけ紹介します。

三つの選択肢に対して、個別に優劣(優先順位)を付けていくと、驚くべきことに。

開戦 > 対話 > 受諾

という結果が導かれ、当然「開戦」という結論が可決されてしまいます。

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心理的には。

「増税」を伴う可能性の高い「戦争」は嫌だ。

かと言って、相手の言いなりになるのは嫌だ。

島から遠い住民は、「そんな島くれちゃえば良い」。「そうでなければ戦争で決着つければ良いじゃん」。

等と、なるでしょうか?

いずれにしても、開戦を第一希望に選んだ人は「一人」しかいませんでした。

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現実の世界でもそうです。
積極的に戦争を望むのは「一握り」、兵器産業や一部職業軍人だけの場合がほとんどです。

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なのに戦争が選択されてしまいました」。

第一希望で開戦を望んだ、たった一人の意見が。あたかも「独裁」のように、実現してしまったのです。

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もちろんこれは「可能性」の問題なので、毎回同じ結果が得られるとは限りません。
この例えでも、ご覧の通り「開戦」と「受諾」をもし。先に多数決を採ったら、圧倒的に「受諾」が多数なのですから。

いきなり「開戦」の選択肢は消滅し。「対話」と「受諾」のみの論争となる筈です。

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ですが時間は常に流れていて、どの順番で採決を採るか。事件が起こる前に決める事はできません。

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太平洋戦争開戦直前の大日本帝国もそうでした。
選択に対する優先順位を付ける時間的前後関係が限定的。

つまり、短時間で、もしくは「大前提」から考え直す手順を省いて。「場当たり的」方策に終始し。

最後は、全ての選択肢を失い。開戦に至りました。

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この事は。

安易に、今目の前で起こっている「結果」だけで論じず。
過去、つまり原因からキチンと、「事象全体を把握」し。総合的・包括的判断を下すが肝要である事を明示しています。
僭越ながら自分も含めて日本人は、「直観力」を重視しすぎています。

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簡単な言葉で説明すると。
チョッと簡単すぎて、「正確性」を欠きますが。

「リーグ戦」のように、一回決したら「終わり」。つまりその事を「忘れ」て、すぐに「次」の事を考えるのではなく。

「トーナメント戦」のように、「本当の意味での優先順位」「最もふさわしい最優先課題」を。

一過性のブームのようではなく。一時的な感情論でもなく。
原因から立ち返り、大前提を常に踏まえながら、論理的に「考え続けること」。
これが本当の意味で必要だと言うことです。

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結論。

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このように多数決民主主義原理を導入している、完全な民主共和制国家で、独裁が発生しうる事が証明されています。

国民投票・公職選挙で、「三者択一」なんてあり得ないじゃないか。と感じるかもしれません。
しかしこの問題は、「多数決原理」そのものに「内在」していることを忘れてはいけません。

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「皆の意見を取り入れよう」。
よく耳にする発言ですし。独裁性を排除し、民主主義精神を満たす、心地よい響きです。

ですが、この多数意見・意思に「序列」をつけるための。
多数決民主主義制度そのものに内在しているため。方策審議という、選択肢の多数存在する会議において。

この問題から免れることができない事を、意味しているのです。

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まして「国会」「議会」のような公的審議の内容は、厳密に「記録」されており。
間接民主主義により選ばれた審議委員、つまり代議士による審議記録は。

つまりは国家の威信の「公式記録」であり、国民投票の「一票」と全く同じ価値を持ち、意味的にも投票と全く同じ意味を持つので。

すなわち不可能性定理を引き起こす可能性を秘めてるのです。

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もっと言えば。
「無縁」と思われる、「国民投票」にさえ。この問題は内在します。
ヒトラーのような、昔の話ではありません。現代社会、現代日本でも起こります。

確かに、日本の公職選挙制度によって「三者以上選択肢」は絶対にあり得ません。

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しかし「政党制度」はどうでしょう。
二大政党ならまだしも、日本のような多数政党の場合・・・・。

先の例えを流用すると。
「A党が開戦」、「B党が要求受諾」、「C党が対話」、・・・・・・・・・・。

等等。
多数意見を取り入れていくとどうでしょう。前記の「多数決原理のパラドクス」と全く同じ状況になることが分かりますね。

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編集後記。
民意が戦争なら立派な民主主義?。

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つまり「共和制民主主義」などといって安心していると。
それこそ「アッという間に」その国家は、民主主義の精神を、内部から失ってしまう危険をはらんでいるのです。

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民意が戦争」なら、立派な民主主義じゃないか?

人類史上に登場した、あまたの民主制・共和制・元老院制の国家が衰亡した、直接的原因がここにあると言えます。
陸軍省・海軍省・内閣・企画院等々。色々な政治権力が錯綜し、いつの間にか太平洋戦争に向かってしまった大日本帝国もまた。
このパラドクスの弊害を体現していたのです。

戦争か対話かの議論だけではなく、民主共和政体自らを改変できる弊害なのです。

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近年、大日本帝国開戦直前の資料が、次々と明かされていますが。
まぁ日本の場合は「憲法解釈」の問題なので分かりづらいのですが。当時のドイツの場合は辛らつで、分かりやすい政策を執っています。

実権を握ったヒトラーが、平和憲法(ワイマール憲法)を無理やり改定した経緯があり。
すなわち、「憲法改定」の方法論すら、この「不可能性定理」の弊害から逃れることはできないことを証明しているのです。

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現実世界はもちろん三者択一どころか、無数の選択肢があります。
ですが「三者択一」ではなく、「その時々」で場当たり的に対処すると、このような結果になりうるということです。

例えば大日本帝国で言えばそれは。
「連盟脱退の是非」であり、「満州事変を認めるか否か」であり、「ドイツとの同盟の是非」であり、「日米開戦の是非」である訳です。

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最後の「日米開戦の是非」だけとっても、多数意見が失われているのです。
当時の民意は「対米強硬論」一色、国民は熱狂の渦でした。

ですが。「対米強硬政策」と「日米開戦」は別問題です。

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1941年初頭の世論調査では、強硬論は言うまでもありませんが。
「じゃあ日米開戦支持率は?」といえば、支持どころか、半数以上が開戦を予見すらしていませんでした・・・。

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「民意が戦争」なら、戦争は立派な民意じゃないか?

民意は「対米強硬論」、つまり「交渉」であって、「開戦」ではないのです。

一歩譲って。よしんば開戦を望んだとしても、それはあくまで「開戦」であって「民主主義の放棄」でもないのです。

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軍部としては当然、「国民の熱狂」もしくは「民意」に沿って、国益のために。「命を懸けて」戦っている筈です。
ですので当然。民意に沿って敵国と戦っているのに、「民衆とはわがままだ!」となるわけです。

しかしこれがまさしく、ジョセフ・シュンペータの見解。「軍事組織」という名前の社会階級の出現なのです。
階級という名の既得権益が生まれた以上、その組織に属する者の中に、既得権益を保持しようと思うものが現れるのは必然です。

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これが。「道具としての軍隊」が、「社会階級」に変貌した瞬間なのです。

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これはなかなかに理解しにくいものですが。
例えば、絶対的権力者。つまり「皇帝」のような政治指導者が存在したとしても、護民官や議会のようなシステムが存在すれば。

それは即ち、民衆の意思を取り入れる。たとえ不完全であっても、「立派な民主主義」です。

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人類の歴史は、この「民意」が戦争を望み、軍隊や皇帝がこの民意に「応える(人気を取るため)」ために、戦争が繰り返されてきました。

しかし、本当に民意は戦争だったのでしょうか?

国民の意思は「あくまで国益の増大」であって、なにもその手段は「戦争に限定」される筈がありませんね。

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まして、民衆の立場から考えれば。
たとえ政治に全く関心が無くとも。「自分の意見が通らなくなることを、積極的に望む」筈ないですよね。

もし政治家の中に、「民意を排除したい」と考える者がいたと仮定すると。これは即ち、「政治家の腐敗」です。
しかしもし、この輩(この政治家)の意思が通ってしまい。民意が排除されるシステムができてしまったら。

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これはもはや「政治家の腐敗」ではなく、「政治の腐敗」です。

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極端な話。政治家がいくら「腐敗」しようとも、政治。つまり民主主義が正常に機能していれば、是正の余地があります。
しかしまぁ。これはなかなか難しいにしても。

つまりこの腐敗政治家をリコールやオストラコン、もしくは少し待って次の選挙で「落選」させれば、事は済むわけです。
(オストラコン=追放制度。日本では司法府最高裁判事に対して施行されている制度です。)

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しかし・・・。
ご理解頂けたでしょうか、もし「政治家」ではなく、「政治」が腐敗すると。

民意を反映させる事そのものが永遠に失われてしまう」のです・・・。

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太平洋戦争直前、総理大臣「近衛文麿」が日米開戦を危惧して。
「内政の失敗はまだしも、外交の失敗は国を滅ぼす可能性がある。」と、閣僚に語ったそうです。

確かに内政は、例えば先進国ダントツ。
前代未聞の「一千兆円の財政赤字」を抱えたとしても。是正できる可能性はあります。

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しかしもし。中国に、北朝鮮に、イスラム国に。
外交を失敗したとしたら。確かに今更「焼け野原」にはならないかも知れませんが。

現在の「日本政府」が滅亡する可能性はあるのです。

良く言えば「新日本政府」、悪く言えばそれは。

世界第二位誇った、「経済大国」の見る影も無い。全く別の政府の出現・・・。かも知れません。

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編集後記2。
まだまだたくさんある、民主主義の中の独裁。

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今回は「多数決民主主義」の問題点を取り上げましたが。
「民意が及ばない政策」という観点を主題に置けば、他にもたくさんあります。

例えばそれは「競争入札対象外」という、「手続き」さえ通せば。
いくらでも随意契約が可能な実情であり。

前記した「違憲立法審査権」の空洞化もしかり。

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もっと深刻なものもあります。
例えばこの問題は、日本に限らないのですが。三権分立を建前としている国々で、唯一の「立法府」ではない。

行政府が法律を作り、しかもその範囲が拡大しているという問題です。

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これ等は知れば誰でも、「恐ろしく深刻」な問題だと気が付くと思います。

自分で作った法律を、自分で運用するのです」。

まさに「独裁」の極み、もちろん「歯止め」は、各国共に当然設けていますが。
世界情勢の急激な変化により、「行政立法」・「委任立法」が増加し。つまりこの歯止めが弱くなっているのです。

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ましてや日本は前記したとおり。
司法府が優位でない、つまり司法が弱いので。行政の暴走を、そもそも抑止しにくい。という政治制度ですから。
この問題は、他国より深刻です。

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更には、前記したとおり。日本は、行政府と立法府が高いレベルで合体しており。
その点から考えてもこの問題は、よりより深刻なのです。

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しかも日本の衆参両院は、一部を除きほぼ対等であり。
その弊害として、衆参両院で与野党逆転(ねじれ)を生じると、国会が完全に麻痺するため。

つまりこの状態では「行政立法」のみが、唯一の立法システムと化すためもあって。
そもそも議員立法に対する「歯止め」がゆるい。

という内情も、かなり深刻です。(そもそも「三権分立」が怪しい)

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更には・・・・。(まだあるの?)国民性もあって、立法府である国会の議員に、「人気を取るための立候補者」が多く。
当然このような議員は、残念ながら「法律の専門家」からはかけ離れており。

申し訳ありません。ひどい言い方をすると、立法府としての「国会を空洞化」させている。
という点でも深刻です。

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更には更には・・・。(まだあるんです)
そもそも論として、国会は「タレント議員」だらけ。しかも行政府、つまり内閣閣僚、つまり大臣も各省庁の「腰掛」・・・。で。

じゃあ誰が政治を?
名づけて「霞ヶ関府(こんな呼び名はもちろん無いのであしからず)」。つまり「官僚一党独裁」体制・・・・。で。

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実際・・・。

事務処理的性格の「行政立法」の事務処理。つまり法案作成が、ほぼ100%官僚が行っているのはもちろん。

なんと、「議員立法」の95%までもが、官僚によって作成されていると言われています。

つまり。実は官僚独裁国家だったんです。日本て国わ。

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そんなのどこの国だって同じだ?。国会は「民会」なのだから、「素人集団」でしかるべき?。
つまりこれは「程度問題」なのです。日本はこのように、そもそも法制度が独裁培養に適しているって事です。

実際、官僚が強いヨーロッパだって。たとえは政治団体が圧力をかけるのは官僚ではなく、閣僚理事会です。
官僚は政治的配慮の権限を持っていないので、当然ですね。(日本では政治団体は永田町ではなく、霞ヶ関へダイレクトです。いわゆる「霞ヶ関参り」ってやつです。)

国民性という言葉が出ましたが。まぁこの言葉は、もともと何の根拠も無い言葉なのですが。

日本人は元々「お代官様(今で言う官僚)絶対主義」なので。

政治家が独裁を行うのは許さないのに、官僚が独裁を行っても・・・。

そもそも「問題意識」すら感じないのでしょうね。

「出る杭」にならずに、決して表面に現れなければ。

つまり目に見えない物は、「分らない」で済んでしまう寛容性。

これが日本人の真髄でしょうか?

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エピローグ。

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今回取り上げた「多数決民主主義の弊害」。

更に言えば、「セイレーン」で説明した。例えば「兵器産業団体」の団体政治。

同じく「セイレーン」で説明したジョセフ・シュンペータの議論。「帝国主義と社会階級(インペリアリズム アンド ソーシャル クラッシス)」。

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等が複合的に作用して、「絶対平和な国」と信じきってきっていたのに・・・・・。

という悲劇が起こるのです。

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戦争というのは、一度始めたら「絶対にやめられません」。

まして隣国ならなおの事。

しかも代理戦争ではなく、当事国同士の国民感情のぶつかり合いだと、数十年続くこと。

否。百年続くことさえ珍しくありません。

仕方が無いでは済まされない。想定外では済まないんです。

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キレイ事や精神論、理想論、規範論を論ずるつもりは毛頭ありません。

当サイト作者は、日本大好きですが「愛国者」とは無縁ですから。

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戦争は金がかかるんです、大増税が待っているんです。

世界第二位の経済大国から、三位へ、そして四位へと落ちた「どころの話ではなく」。
経済大国から、一気に転落する恐れがあるんです。

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相手国は良いですよ、いくら戦争を続けても。膨大な人口を抱えて、「体力」があるのですから。

でも日本はそんな「のんきなこと」言ってられないんです。

「自衛隊F15戦闘機と、相手国の〜戦闘機。どっちが勝つか?」。

このような「戦略」を無視し、「戦術」のみの、「不毛な議論」を交わす若者を目にしたとしたら、その国は。

危機に瀕しているのかもしれません。

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