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まだ制作途中です。

「趣味とドールの融合」ページ、今回は映画趣味に戻って。
映画「アレキサンドリア」です。

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ただしこの映画は、前に紹介した「シカゴ」や「ミニミニ大作戦」とは全然違います。
更に、「作者紹介ページ」の膨大な映画紹介とも違います。どこが違うか?。

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実はこの映画はあまり「お勧めできない」のです。

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なぜお勧めできないか?
百聞は一見にしかず。これも作者の大好きな映画で、もちろん「お勧めできる」映画、「グラディエーター」を引き合いに説明してみます。

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映画「グラディエータ」より。

まず戦闘シーンが全然違います。モチーフが異なるので「仕方が無い」とも言えますが。
「見せ方」がヤッパリ、「ハリウッド映画」だなぁ。って感じです。

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ローマ軍といえば「チャリオット(戦車)」が有名ですが、あえて森林地帯を選び。
ローマ軍の圧倒的なアーチャー(弓隊)の兵力、重装歩兵の迫力を十二分に表現しています。

まるで現代の、「地対地ミサイル」のような火矢の飛跡はまさに「圧巻」です。

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マルクス・アウレリウス・アントニウス帝とラッセルクロウ演ずるジェネラル・マキシマス。

「ラッセルクロウ」の衣装も、一世を風靡しました。アクションフィギュアでも発売されましたね。
現代風にアレンジし過ぎず、かといって古典的過ぎず。絶妙の「デザイン」です。

歴史的に見ても、劇中でコロッセオで行われる「剣闘士の殺し合い(グラディエータ興行)」を問題提起してるので。
確かにこの時代、いわゆる「五賢帝時代」がベストマッチですが。もともと「他の時代」でも成立する内容なので。
あえてこの「偉大なアウレリウス帝」時代を選んでいるところも、ストーリー内容に大きく貢献しています。

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お次は映画「アレキサンドリア」です。ちなみにこちらは「スペイン映画」です。

ローマ軍兵士の衣装も、悪く言えば「ダサい」ですね。
もちろんこれはローマ皇帝直属のいわば近衛兵なので、マキシマス(将軍)より階級が上かもしれません。

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こちらの映画にはローマ皇帝(テオドシウス帝)すら登場しません。

この時代を選んだこと自身、そもそも「マイナー」です。
何故なら、宗教問題を前面に押すのなら、二代前の「コンスタンティヌス帝」の、いわゆるミラノ勅命が最も「ドラマチック」、かつ「知名度」高いからです。

もちろんリアリティを出すならこの時代です。
一般的にはミラノ勅命こそが「キリスト教の夜明け」のように知られていますが、実はミラノ勅命は数多い「ローマ信教」の中の一つとしてキリスト教を認めただけであって。

史実上の最も劇的変化(ローマの)は、この時代の「キリスト教国教化令」だからなのです。

つまりこの映画の主題は「宗教問題そのもの」ではなく、実は他にあるのです。

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戦闘シーンも極めて、良く言えば「リアル」、悪く言えば「盛り上がりに欠けます」。
兵士の武器も粗末で、「えもの」と呼ばれる、文字通り「柄」の長い「棒」に粗末な「刃物」を付けただけの物であり。
これがまさに、「古代世界の武器」なのです。

実は、武器の攻撃方法の主流は、近代に至るまで「棒で叩く」だったのです。
(ロングソードや刀のような長刀武器を持てたのは、本当に一部の騎士身分だけだったのです。)

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冒頭でも登場した図書館(当時のいわば大学)の教壇。

「戦争」と言ってもこっちが本当の姿です。
戦争とは古来、「略奪・破壊」「虐殺・奴隷」が目的の主なものであり。
「男は殺すか奴隷」「女は犯して殺す」のが当たり前だったのです・・・・。

漫画に出てくる、「捕虜を殺すな」みたいな名将など、実際には本当に一握りの存在だったのです。

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ちゃんと調べてないので定かではありませんが。この時代には既に「キリスト教教義(新約聖書)」が完成しており。

「異教徒の女は、裸にして「魔女」であるか確認」していました・・・。

もちろんそんな確認など、実際は「疎か・無意味」であるのは言うまでもありません。

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この後話して行きますが、「この映画が、一般論からするとお勧めできない理由。」がここにあります。
もちろん作者的(部分論)からすれば、「絶対お勧め」です。

一生の内に一度は是非観て欲しい名作」なのです。

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歴史を学ぶ者は、皆多かれ少なかれ、「近代史以前の女性の無力さ」を知っています。
現代では当たり前とされること、例えば「勉強すること」「髪の毛を見せること」「男性の前でしゃべること」。
こんなことでさえ、近代に至るまでそれは許されない行為だったのです。

ましてこの映画の主人公(ヒロイン)は、哲学(現代の科学)を専攻し、男子学生を相手に教鞭を執り。男性からの求婚を断りました。
アレキサンドリアは、当時は極めて国際都市であり、先進的気風があったので。このような女性が存在できましたが。
古代世界において、このような女性は、存在自身が許されない存在だっだのです。

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中世以前の社会は基本「封建社会」なので、その地方によって「厳しい地方」「ゆるい地方」等かなりの温度差があり。
女性に対してももっとずっと「寛容な社会」は存在しました。

寛容ならば良いかと思ってしまいますが、それこそが最大の問題点なのです。
問題は「寛容さ」ではなく、「封建社会」という社会構造そのものにあるからなのです。

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例えば日本は、比較的女性に寛容な社会でした。

しかし一方で、「法律」や「契約」の概念がほとんど存在せず。
司法制度は「極めて封建的」であり。実質的には、奉行という「たった一人」の人間の判断にゆだねられていました。

時代劇の中では「正義感」に満ちたお奉行様が、颯爽と現れ、悪人をこらしめてくれますが。
現実の世界はそうは行きません。人は権力を握った瞬間から腐敗するのですから・・・。

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判断基準となるべき「法の精神」も無いまま、法の裁きの全てをたった一人の人間に委ね。
なおかつ、裁きを下した者が、その裁きに対して責任を負わない(冤罪でも)制度。

これは「恐るべき社会構造」といえるでしょう。

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ヒロイン「ヒュパティア」を擁護し続ける主教「キュレネ」。
(PS.名前が映画冒頭で出ていました「シュネシオス」です。)

この映画の興味深い点は、「戦闘シーン」や「極めて美男子の主教」などを登場させ、ストーリー性を確保し。
同時に、「実在する人物」をモチーフに。歴史的背景にかなり忠実に展開している事です。

なので一見すると「社会派」映画に見えない、普通のストーリー映画に思える点が大変に興味深いですね。
例えばブラッド・ピッドのような有名俳優を起用して、話題性だけで「社会問題」を取り上げるアメリカ映画より、よっぽど「心に響きます」。

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この映画の主題が「宗教対立」ではないとすると、何を訴えているのか?
これはあくまで当サイト作者の主観的解釈で。結論を先に記して申し訳ないのですが。

私は「女性差別」を、この映画は主題に置いていると感じました。

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映画終盤、ヒュパティアはついに惑星の軌道理論。
いわゆるケプラーの第三法則を発見します。

実はこの映画は、ストーリー展開が順当で。終盤まで謎を残したり、伏線を同時進行させたりといった、複雑なストーリーではなく。
割と、観る者に「展開を予見させる」、シンプルなストーリー構成です。

序盤からヒロイン・ヒュパティアの「つたなさ」や、女性ゆえの「ジレンマ」等を表現しており。
作者自身も序盤時点で既に。

「ヒュパティアは何かの大発見をするが、女性ゆえに「日の目」を見ずに終わるかも・・・。」と予感しました。
つまりこの映画は、女性の「はかなさ」「無力さ」、女性ゆえの「悲劇」を描いている。と、感じたわけです。

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この映画は本当に「いとおしい」、「切ない」映画であり。
少なくとも当サイト作者が観た中では、最も女性差別を「辛らつ」に描き出した社会派作品でした。

その点、映像や登場人物・構成等から。「普通の映画」だと思って観ていると、途中から「観るに絶えなくなる」かもしれません。
それ程、「目を背けたくなる」映画なのです・・・。

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ちなみに。両作品の制作費と興行収入は。
グラディエーター アメリカ合衆国 制作費$103,000,000 興行収入$457,640,427
アレキサンドリア スペイン 制作費$70,000,000 興行収入$39,013,466
でした。これでは・・・、ハリウッドではスポンサーが付かないでしょうね。

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よく。
「人は見えているものを見ているのではなく、見たいと思っているものを見ている」と言われます。

この映画は「目を背けたくなる」からこそ、観る人が少ない。興行収入が少なかった・・・。
という、極めて残念。かつ「大衆心理」の持つ理不尽さを体現している。そう思える「名作中の名作」でした。

← この問題を提起した物語で、最も有名なものは「ジャンヌダーク」です。
しかし古典的作品ゆえ、「悲劇」を意図的に強調しているジャンヌダークに比べ。
リアリティに徹した現代劇である分この映画は、一層辛らつと言えるでしょう。

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歴史上、後にこの問題は・・・。
「魔女狩り」という形で、キリスト教の持つ最も深刻なパラドクスを。特にラテン・カトリック世界で姿を現します。
「性差別を直視しよう」と思う人は、ぜひご覧になって頂きたい一作です。

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