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さてさて。
ご覧の通り、素晴らしい限りです。コレだけ見ても、ドール系アウトフィットのクオリティーの高さが伺えますね。

今回は、ビウティ和装スペシャル第二編。「狩衣編でおじゃる」です。
ボークスだったか、オビツだったかの、男性素体。剛という素体用の作成されたものです。

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ただ単に写真を並べただけでは「つまらない」。
もしくは、「間が持たない」ということから。毎回何かしらのテーマを持たせて(こじ付けて)まいりましたが。

まぁ・・・。
通常は、「狩衣」の着付け法とか、「平安装束の種類」とか紹介するのが順当なのですが。
ひねくれ者の作者は、またまた変化球で行きます。

← 「狩衣」画像検索。普通は構造・種類等の紹介でしょうか。

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で、今回は、またまた登場。作者の「知ってる範囲での歴史」との抱き合わせでお送りします。
いつものごとく、資料も調べず「サラ」っと行きますので。間違ってる部分があるかもです。詳しくはウィキして下さい。
(自分で読み直しても「違うじゃん」てのがあります。例えば「フランスの歴史」の中で書いた、「東西ローマの分裂」と「東西国教会の破門合戦」の前後関係が逆でした。)

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ご存知の方も多いかと思われますが。古来日本では、ヨーロッパ、オリエント、アフリカ北部地域のような。
「深刻」と言えるほど、大きな「宗教対立」は起こりませんでした。

ちなみにヨーロッパ地であればそれは。
「ラテン・カトリック 対 正教(オーソドックス・チャーチ)」であり、「正当カリフ派(シーア) 対 アッバース家(スンナ)」であり。
もちろん「キリスト教 対 ユダヤ教」であるのに対し。日本では言うまでも無く、「仏教 対 朝廷(神道・皇道派)」な訳です。

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も一つちなみに、日本でキリスト教宗派というと。宗教対立も含めて、「カトリック 対 プロテスタント」が最も有名ですが。
当のキリスト教圏の人にとっては、この意識はほとんどありません。

エリザベス女王弾劾騒動に端を発し、ピューリタン革命(ピルグリムス)からアメリカ移民までの歴史が有名なため。あまり気付かないのですが。
この「英国のゆるい(どっち付かず)プロテスタント」の流れを引き継ぎ、敬虔なキリスト教国アメリカでさえ。

一応プロテスタントだけど、どっちとも言えないのが現状です(そもそもあまり分けて考えてない)。

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エニウェイ。仏教と神道、仏閣と神社、幕府と朝廷
ご存知聖徳太子が仏教を取り入れ、これに曽我氏が乗じて中臣氏を圧倒する。この辺から、まぁ「宗教対立」と称するには苦しいのですが。

仏教派と神道の色分けが鮮明になって行くわけですね。

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幕府を開いたお三方。即ち北条、足利、徳川家は。
本人の信仰心がどれほど有ったかは別として、また、東照宮・八幡宮と言った神社を建立している場合も有りますが。

「基本」。
構図として、天皇家から天下った氏(「源」氏など)ではなく、実力で実権を奪い取ったと言うことで。天皇家との「対立」が無いにしろ。
分類できない場合でも、神道に対するアンチテーゼとしての仏教派と、いうことになります。か。

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じーーーーーーーん。

セラ「足が、つ、つ、つ。」

そんな中で異色なのが。「織田信長」でしょうね。
もちろんこの人も、本人の宗教心がどれ程あったか?はともかく。将軍家を消滅させ、仏教徒大弾圧を敢行し、正親町上皇と関係を持ち。

「官位位思いのまま」(「どんな位に就いても良いよ」という許し。つまり事実上の征夷大将軍位任官。)の通達を「あっさり断り」。

事実だけで追えば、他の三人とはま逆の「反幕府」「反武家」、ひいては反仏教政策です。
(足利将軍家(武家)に対する織田家の公家(朝廷派)という意識は、実際信長自身持っていたといわれています。)

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これも本人にどれ程の意味を持っていたかは定かでないし、後にも先にも「一度きり」なので。
それ程意味は無いと思いますが。織田信長は「藤原信長」と、公文書(熱田神宮建立時)で署名しています。
(政治効果の程は、あんまり深く考えてなかったように思えます。)

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とは言え皇道派と称するには程遠く、皇室にも圧力をガンガンかけ。晩年には「自らが「神」」であるかの如く振舞っています。
つまり神の子孫とされる皇族の権威を、「自らが帯びる」振る舞いは明らかな朝廷への圧力・挑戦であり。

まぁ正一位征夷大将軍太政大臣、バリバリ幕府の徳川家康も神社を建立していますが。
家康の場合、別に朝廷の反対勢力を掲げた訳ではないので、信長のスタンスがいかに「特別」であったかが伺えます。

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生涯の行動を通して見る限り(作者的に)、ハッキリ言って信長は明らかな無宗教主義であり。
自分に対する対抗勢力になれば、相手が仏教だろうが神道だろうが打ち倒す。の意思が伺えます。

徹底した合理主義からすれば、「仏教を利用」すれば、もっとスムーズに天下布武を成し遂げられたのに。
こうした宗教主義者と手を組むと、「必ず後々邪魔になるであろう」事を肌で感じており。

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故に、早くから。
自分に「楯突いた」仏教勢力を弾圧し、「朝廷解体」を考えていたかは、今となっては知る由も無いにしろ。
せいぜい、「利用できる物は何でも使う」の価値観のもと、「自らを「神」」と奉らせたものと。作者は考えます。
(辛らつとも言える明らかな「道具としての宗教」)

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作者が見るに、その点。西洋で言うところの「皇帝位」を目指していた。

つまりそれは、西ローマ最後の皇帝を追放したオドアケルであり(あれっテオドリックだったかな?)、西欧諸国を統一したシャルルマーニュ(カール大帝)であり、神聖ローマ帝国を築いたオットー等の方法論に合致する訳で。
日本史に登場する数多くの「覇者」の中で、「突出して日本人離れ」していた事が伺えます。

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ちなみに、ここまで話すと「西欧かぶれ信長」のイメージが必然的に浮かんできますが。
信長のこの価値観は、ルイス・フロイス等と出会う以前。若い頃からその片鱗を見せており。恐らくは「自前の価値観」だったものと思います。

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江戸時代をぶっ飛ばして。再び訪れた新道時代。つまり明治時代ですが。
「信長時代」という言葉はありませんが、あえて、信長時代と比べた時・・・。

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逆に言えば、「坂本どん」の明治政府の成れの果て。「大日本帝国」の方がずっと中世的・時代錯誤的・保守的思想だったと言えます。

大政奉還により強力な左派政治を断行し。
同時代世界で見ても驚異的スピードで「改革・開放運動」を成し遂げ、トップクラスの自由主義(今で言う帝国主義ですが)を成立させた明治政府も。

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肝心の中身、つまり改革開放精神が空洞化し。天皇家の権威を「利用できるだけ利用し」。数々の「神様」を祭りあげ。
つまり乃木神社、明治神宮、靖国神社。更には織田信長の正一位任官や、征韓論時の豊臣秀吉神格化など等。中世的思想を色濃くして行ったわけです。

出だしは「左翼政治」だったのに、いつの間にか右翼政治化・・・。

歴史を振り返ると、実は良くある事ですが。
この明治政府の右傾化への強いドライブは、軍内部で静かに進行し、対外政策のシーンで表面化し、「2.26事件」で決定的になります。

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ここで作者が興味深く感じるのは、あれほど「あからさまな保守暴動(2.26事件)」であっても。
事件を起こした、特に若手将校達は。自らの行為を保守暴動だという認識が全く無い
むしろ「改革解放運動」だと信じきっている点です。

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追記。

さてさて。またしてもダラダラ綴りながら、飛鳥時代から帝国時代までダラダラやって来ました。
ここまで綴っておいてナンですが。作者は戦国時代以外の日本史に、あまり詳しくありません。

世界史、人類史。ひいては進化・生命起源・天文学まで含めた。長い歴史の中の「一つの国の歴史」として捉えていて。
「日本史大好き」。と言う人には許しがたいかも知れませんが、他の歴史との「相対化」の手段以外に。
今のところ、日本史の対する知的好奇心を刺激する材料が、乏しいのが現状です。

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映画「影武者」より。

突然良い話でナンですが。どんなかたちであれ、「超一流」に接する事は価値観を磨くに不可欠なもので。
作者もそんなことから。若い頃より、名作・クラシック・レゲエ・ミュージカル・演劇等等。折に触れ観て参りました。

そして、この映画。影武者もまた、まさに「超一流」です。もう、いまの時代、こんな凄い映画、作れないのでしょうね。

そんな中でも上記通り、戦国時代は別格で、知的好奇心に富んだ。優れてエキサイティングな時代だったと感じています。
これはノスタルジックでも、ロマンティシズムでも有りません。

「日本」という国の性格(日本人気質)が、ここで大きく変わったからに他ならないからです。

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何が変わったか?
実は、安土・桃山時代以前の日本人は、意外にも欧米人のそれにほとんど変わりが無い。つまり良く似ていた。
と思っています。

ところが江戸幕府成立により、他国との接触の一切を絶ち。極めて排他的・封建的社会をドンドン強め。
「変わる事」を完全に拒絶する国民性が、育っていったのです。

↑ この後の400年の日本の姿を決定付けた二人。「徳川家康」&「織田信長」。

実際、もし仮に。
江戸の300年間、「定点観測」できるカメラがあったとしても。恐らくは「300年間変わり無し」の写真が撮れることでしょう。
300年間全く変わらない。更には。「他人と全く同じ」でないといけないという意識。実際「変わり者」は「罪人」として、または村八分の対象でした。

つまり。「改革は全て悪行」であり。また、「変わり者」は生きることさえできなかった。

変革を試みる者は、今で言う「騒乱罪」の大罪人であり。「伝統という名の過去」にのみ価値観を見出し。

未来に対する想像力を働かせることの一切を「悪」として処理する国民性。

つまり、現代日本人の「気質」のベースを作ったのが江戸時代であり。戦国時代の延長線で、国際社会へ働きかけが継続していれば。
日本という国の姿が、全く異なっていたと思っています(もちろん歴史にIFは禁物ですが)。

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編集後記。

今回は、「神道(しんとう)」と「仏教派」を。話の都合上、少々大げさに表現。
つまり「対立構図」のように表現しました。

しかし冒頭にも述べたように、日本では両者に「対立」とまで言えるほどのアイデンティティのぶつかり合いは起こっておらず。
その時々の「覇者」たちも。あくまで「宗教の枠組みの中」での趨勢にとどまった訳で。

それに対して西洋諸国では。
既存の宗教勢力を打破する勢力が幾度と無く現れ、これが宗教戦争の火種となってきた訳です。

その点でも、上記通り「織田信長」は。
日本の覇者の中で、いかに稀有の存在だったかがうかがえます・・・。

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